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英語よりも日本語?(「英語の授業は英語で」その5)

英語教育の充実が唱えられると、一方で「むしろ日本語をしっかりやるべきだ」という意見が必ずといっていいほど出るように思う。今回「高校の授業は英語で」という方針が示された時も、やはりこうした声をあちこちで見聞きした。

私には、日本語と英語を二律背反のものとしてとらえる見方がどうも不思議なものに感じられる。前回書いた、高校時代の英語教師からの影響があるのかもしれない。

「英語よりも日本語をしっかりやれ」という背景には、日本人の国語力が貧弱になっているという認識があると思う。「日本語の乱れ」の例として、よくカタカナ語の増加があげられるが、それは英語をはじめとする外国語の影響だとして英語が槍玉にあがるのだろう。

英語を学んだから日本語がダメになった、というほど母国語はヤワではないと個人的には思っているが、日本語力が衰えているのだとしたら、まずは国語教育に問題がないのかを精査し、さらにどのような社会的背景があるのかを探り、対策を考えるべきだろう。それをせずに、すぐに英語や英語教育と結びつけるのはお門違いというべきではないのか。

国語の授業を犠牲にしてまで英語を教えるというのなら、私も反対である。しかし、今のところそうなってはいないはずだ。学校で教えることになっている以上、英語も国語も数学も社会科も、等しく充実を目指すべきである。それでも、国語の授業を大幅に増やさなければ日本語力が先細りになるという結論に達したなら、どの教科を減らすべきか、その時点で改めて論議すべきであろう。

国語の授業ということでついでに書くと、私が児童生徒だった時は、教材といえば文学や人生論的な内容が目立ち、それについて(優等生的な内容が期待されていることがみえみえの)読書感想文を書かされ、テストには「作者の気持ちは何か」といった問いがよく出ていた(作家の清水義範氏がそうしたことを題材にユーモア小説を書いていた)。現状はどうなのだろうか。

私は、国語の授業こそ、母国語をどう使うべきかという実践面、言葉そのものの運用にもっと力を入れるべきだと思っている。日本人の国語力が衰えている、また日本人が日本語を大切にしない傾向があるのだとしたら、自分の考えを公の場で他人に対し的確に伝えるための教育が不十分だったことに原因の一端があるのではないだろうか。

それはともかく、私たちはもはや鎖国時代に戻ることはできないし、インターネットで種々の情報がたやすく手に入る時代に生きている以上、今のところ事実上の国際語である英語の教育を充実させることは、益をもたらす可能性の方が損になるそれよりずっと大きいだろう。

英語教育をめぐっては、「むしろ国語教育の充実を」といった意見のほかに、「少数に徹底的に教えて英語エリートを育成すべき」、あるいはまったく逆に「英語を第二の公用語にすべき」といった声も聞くが、こうした極端な方向に走る必要はまったくないと思う。

日本人の母国語はあくまで日本語である。それに加えて、到達の程度や必要とするレベルは個人によって違うにせよ、有用性の高い言葉である英語を身につける機会を与えることは必要だし、その教育の充実を図ることは悪いことではないはずだ。今回の学習指導要領の改訂がそれにつながるのかはまだわからないし、実際にはいろいろ問題点が出てくるだろうが、私としては先日書いたように、最初から斜に構えることはせず、とりあえずは肯定的にとらえて見守りたいと考えている次第である。

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「光陰矢の如し」を意味するラテン語由来の言葉が tempus fugit です。
学習・趣味・仕事で英語に触れていつの間にか三十数年。英検1級とTOEIC900点超を取得した今も上級者への道は遠いですが、これまで出会った印象深い単語や表現について書いていきます。

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