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「英語の授業は英語で」(その3)

学校英語でもっと「聞く・話す」に力を入れなくてはならないと主張しつつも、英語で授業を行うことに反対している人がいると前回書いたが、その理由は端的にいって「ネイティブの英語ではない」ということにあるようだ。日本人の英語を聞かせたところで、どれくらいの意味があるのか、むしろ害の方が大きいのではないのか、というわけである。

私の経験は限られたものだが、英語を実際に使ってコミュニケーションを図る際には、「慣れ」が大切だと感じてきた。そこで、英語での授業もそうした場として考えればいいのではないかと思う。

日本人による英語の授業は不自然だという見方もあるだろう。だが外国語を使えるようになるためには(同義反復のようだが)実際に何らかの形で使ってみなければならないはずだ。だとすれば、日常生活で英語を必要としない日本にいてそうした企てをすること自体、ある種の無理は避けられないことになる。ならば、不自然だからダメだと否定するのではなく、少しでも意味を見出そうとした方が生産的ではないだろうか。

不自然さを一切受け入れられないというのなら、英語圏へ行くしかない。しかし、英語を国際的なコミュニケーションの手段として考えれば、そんなネイティブ信仰にとらわれる必要はないはずだ。英会話産業などは「英語は世界語」といいながら、実際には英語を使う相手としてネイティブばかり想定している場合が目につくような気がする。

私は面白いと思った英語の表現や背景知識について書き続けているが、先立つのは自分の好奇心であって、実利実用のことではない。これまで私が英語で意思疎通をした相手は非ネイティブの割合の方がずっと多かった。母国語でないというハンディの上では対等の立場にあり、「国際語」としての英語を実感してきた。

とはいえ、特に音声面については、ネイティブのことを考えなくていいというつもりもない。発音や強勢の位置が間違っていても非ネイティブ同士だと理解できる場合があるが、ネイティブに通じないことは当然ある。通じないよりも通じた方がいいから、やはり極力正しい発音や強勢は習得しておく方がいいはずだ(これは高校以前、つまり中学で土台を築いておくべきもので、高校はその応用編というか、実践編という位置づけになるだろう。結局、やはり基礎学習が何事も大切ということになる)。

いずれにせよ、これはネイティブと同じように聞える発音することをめざすということではない。私は英語の音声については門外漢だが、しっかりとした発音ではあるがネイティブではないとわかる英語を話す人がいる。私はそのように英語が使えるようになればいいと考えている。ネイティブ信仰者や発音潔癖症の人は違う意見を持つかもしれないが。

そして、英語の先生にも、ネイティブのように話すというより、非ネイティブとしてのモデルを示していただきたいと思う。前回私は、ある先生のおかげで英語に一層の興味を持ったと書いたが、その人はまさにそうした存在だった。

また長くなってきたので、その先生のことなど、続きは次回に続けたい。

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「光陰矢の如し」を意味するラテン語由来の言葉が tempus fugit です。
学習・趣味・仕事で英語に触れていつの間にか三十数年。英検1級とTOEIC900点超を取得した今も上級者への道は遠いですが、これまで出会った印象深い単語や表現について書いていきます。

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