ホーム   »  スポンサー広告  »  スポンサーサイト   »  未分類  »  ホームズ全集の新訳が完結

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ホームズ全集の新訳が完結

一昨年から出版されていたシャーロック・ホームズの新しい文庫本全集が完結した。訳したのはホームズに造詣が深いプロの翻訳家だが、「おたく」的な脚注を避け、広く一般に読んでもらうことを目指したという。訳者による解説には、「ホームズもの」をめぐる翻訳観も書かれていて興味深かった。
シャーロック・ホームズの冒険―新訳シャーロック・ホームズ全集 (光文社文庫)

シャーロック・ホームズの冒険―新訳シャーロック・ホームズ全集 (光文社文庫)

  • 作者: アーサー・コナン ドイル
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2006/01
  • メディア: 文庫
最初の配本「シャーロック・ホームズの冒険」の解説で、訳者の日暮雅通氏はこう書いている。 いわゆるシャーロッキアン的な注釈や、作家研究的な注釈はいっさい付けていません。(中略)また、ホームズやワトスンの過去について詮索するといったこともしていません。純粋にストーリーを楽しみ、十九世紀末の英米で読者が夢中になってホームズの冒険に読みふけったのと同じ体験をしてもらうことが、本全集の企画の意図であるからです。 はっきりとは書いていないが、ホームズのファンやシャーロッキアンと呼ばれる「研究家」の間に時おり見られる態度のため、せっかくの作品が一般の人にとってやや近寄りがたいものと受け取られていると氏は考えているのでは、と私は受け取った。 こうしたファンや研究者の中には、原文の解釈から訳語、固有名詞の表記に至るまで、非常なこだわりを示す人がいる。みなそれぞれの「ホームズの世界」を持っているともいえる。かくいう私自身も、「ホームズもの」の単なる愛読者ではあるが、以前こちらで表記についてかなり細かいことを書いたことがあるくらいなので、心情的によくわかる。 架空の物語に思い入れを持ち、その世界に遊ぶのは楽しいことだ。しかしそれが度を過ぎて押しつけがましくなると、ファンでない人をかえって遠ざける結果になるのかもしれない、と自省をこめて考えた。 そして、先日店頭に並んだ最後の配本「恐怖の谷」の解説の中には、次のような記述があった。 この全集を新たに訳すにあたっては、以前から考えていた二つの疑問がずっと頭にありました。ひとつは、「読者にとっていい訳とはどんな訳なのか」ということ(読者はミステリー・ファンだけとは限りません)、もうひとつは、「絶対的に正しい訳語・訳文などないのではないだろうか」ということです。(中略) 明らかな取り違えを除いて、ある解釈が絶対に正しくないと言い切ることができるか……難しいところです。翻訳家はネイティブ、つまり英語圏国民の読者に質問することがよくありますが、彼らでさえ解釈に困ることが、よくあります。(中略) Holborn はホルボーン、ホーボン、ホウボーン、ホウバンなどさまざまに表記されていますが、これも「絶対」はありません。発音記号には両方あるし、現地人の発音をわれわれがどう受け取るかにかかっているわけです。 これを読んで頭に浮かんだのは、ひと昔前に翻訳出版された別のホームズ全集のことである。底本にされた原書の版は詳細な注釈をつけたもので、それを含めた完訳だったので、もともとファン向けの色彩が強かったが、それ以外にも、訳者の力の入れようが訳文や解説から伝わってきた。過去の翻訳にあった種々の不適切な解釈を正したとうたい、作品をどう解釈すべきかについて、原作者ドイルの生涯にまでさかのぼって解説してあった。 ファンの私にとっては面白かったが、その「力み」に、ちょっと疲れを感じたのもまた確かだった。訳したのはプロの翻訳者ではなくホームズ研究者だったが、解釈から訳語、作品分析まで、自説に対する自信がかえってあだになっているように感じた。従来よりも正確を期したというにせよ、訳文に魅力が感じられなかったこと(あくまで私の印象であるが)、また、かなり値が張る単行本だったこともあって、途中で購入を止めてしまった。 もちろん日暮氏は、このひと昔前の全集をあげて具体的なことを書いているわけではないが、やはり念頭にはあったのではないかと思う。「シャーロック・ホームズの冒険」の解説の中で、氏は次のようにも書いている。 もちろん、訳者は前述のような注釈本を否定するものではありませんし、むしろ先達の”研究”を翻訳に役立たせていただいていることからも、大いに感謝する立場にあります。要はさまざまな特徴の全集があって、読者がそれを好みと目的によって使い分けてほしいということです。 氏自身シャーロッキアンではあるが、自分の翻訳が新しいスタンダードとして広くかつ末永く読まれて欲しいという、プロの翻訳家としての誇りと願いがにじんでいるように感じた。 なお、日暮氏はかなり前、複数の翻訳者によるまた別のホームズ全集に参加している。そこで担当した作品の訳と今回の全集を比べると、訳文は似たところはもちろんあるものの、明らかに異なっている。過去の訳を単純に再利用したのではないわけである。 以下は余談である。今回の全集は光文社から出ているが、この出版社は「古典新訳文庫」と銘打って海外の名作を出版している(私はこれまで、ケストナーの「飛ぶ教室」クラークの「幼年期の終わり」についてこちらで書いた)。 この「ホームズ全集」など、まさに「古典新訳文庫」にふさわしいと思うが、そうではなく、一般の「光文社文庫」から出されたのはなぜなのだろうか。「古典新訳文庫」が本好きの間で話題になっていることもあり、細かいことだがちょっと不思議に思った。 過去の参考記事: 「ワトソン」か「ワトスン」か〜「慣用表記」とはいうものの…
関連記事
コメント
トラックバック
トラックバック URL
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

tempus fugit

Author:tempus fugit
●こちらの更新は停止しました。http://eigo-kobako.blog.so-net.ne.jp/ で続行しています●
-----------------------
「光陰矢の如し」を意味するラテン語由来の言葉が tempus fugit です。
学習・趣味・仕事で英語に触れていつの間にか三十数年。英検1級とTOEIC900点超を取得した今も上級者への道は遠いですが、これまで出会った印象深い単語や表現について書いていきます。

カテゴリ
さくいん代わりのタグ
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ページナビ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。